■■ kokoroのままに■■

40代の何気ない日常。

同情は不要でしょ

前記事で代理母のことについて書きましたが、書きながら色々と考えることがありました。

 

女性と男性の違いといえば、言わずと知れた子どもを『産む性』であるか否か。

そしてここからが問題なのだけど、私自身、同じ女性であっても異性愛者との間に温度差を感じる事があります。

 

ビアンだ、と言葉を発した瞬間に、相手から〝あぁ、産む気はないのね〟と言われて

ドアを閉められてしまう感覚っていうのかな。

子どもの話題の土俵には、最初から上がらせてもらえない感じ。

 

相手は決して嫌がらせでそうしている訳ではなく、私への気遣いもあるのかもしれないけど。

カムアウトの一瞬の間に、”妊娠・出産の話が全く通じない”カテゴリーに自然と入れてしまう感じがね。

もしかすると、ビアンは”独身男性”と同じカテゴリーなんじゃないかな、と思うと何だかちょっと寂しくなるんだよね。

 

女性にとっての妊娠・出産は人生の一大事。

たとえ、それを経験できなくても、同性である女性の生き方を知り、同感できなくても共感できればいいなぁ、と私は思っています。相手を理解しようとすることは、一緒に社会に生きる中で必要な事なんじゃないかな。それは、マイノリティであれば、身にしみて分かっているはず…ですよね。

 

同性の女性達のことを本当に理解できているんだろうかー

理解する努力をしてきたのだろうかー

なんとなくね、考え込んでしまうのです。

 

私は活動家ではありません。

どのように周囲と折り合いをつけながら生きるか、を日々考えているだけ。

これはセクシャリティ云々を超えて、居心地の良い関係性を周囲にどのように求めるか、といった部分での個々の問題なのかな、と思ったりする。

うまく言えないのだけど…何でもかんでもセクシャリティを理由に行動したり、セクシャリティを悪い結果の原因にしたり、そういう風潮があるのではないかと気になっています。あとね、マイノリティが世間からの同情や憐れみを請う、って流れになっている気がするのは、私だけなんだろうか。

仮にそうだとすれば、

正直、それってどうよ?って思う。

 

大変でしょ?とか、気の毒だね~、なんて言われたくない。

社会システムの不便な部分に便利さは求めるとしても、

同情され、憐れみを請わないと生きていけないような

軟弱な存在だと思われたくないなー、私は。

 

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あぁ、いつも以上に、まとまらない文になってしまったわ(汗

 

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