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■■ ビアン なkokoro■■

独身ビアンが綴る何気ない日常

母と私

日常 家族

日曜の今日、珍しく早めに帰宅できた私への母の言葉は「寂しいねぇ。何もないんだね」から始まった。もう何週間も前から【母の日】は意識していた。でも、何かを準備する気にはなれなかっただけ。

私の中では、母と私はスッキリした関係とはいえない。嫌いではないが、あてはまる言葉を探せない。心に何を思おうが、大人な対応をして花のひとつでも贈るべきだろうー、と冷静に思考は働けど、感情が伴わない。事務のやっつけ仕事か営業活動くらいに思えば実行もできるかもしれないが、緊張感が緩まない。

毎年、この日を前にすると悩む。親に感謝を表明できない自分はお子ちゃまだな、と思いながら、何故こんなことになっているのかと自問が始まる。

 

愛され褒められた記憶は勿論、私について親が何か話をするといった子どもの頃の記憶、が殆どない。世が世なら、ソフト虐待なのか-。平凡な家庭がはしゃいでしまうのも無理はないことだが、鷹の才覚を現し近所でも評判だった弟のことばかりで我が家の話題は賑わっていた。

「kokoroとA(kokoroの弟)の頭を足して、二で割れればいいのにね」

こんな言葉も平気だった。妬むことのできる能力ではないことは、親よりも分かっていたから。賢くなりたいと思うことなく、ただただ、もう少し私のことを話して欲しいと思っていた。小学生の頃から居場所がないことを実感し、中学生になって、家の息苦しさに夜中にあてもなく自転車を走らせた。

すべては誰もが通る成長過程なんだと自分に言い聞かせていたが、少し違うようだと分かったのは、私が30歳を過ぎてからのことだった。第三者を労わる為の学びは、自分の過去と内面を知る機会にもなったのだ。

自己肯定感の異常なまでの低さを無視することをやめた。発達過程に獲得できなかったものは、その後の人生で獲得するチャンスがあるーその言葉に救われて、何とか今に立ち向かっている。

母に花を贈る日もそれほど遠くはないのかな、という希望的観測(笑

 

 

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